私が、いつも仕立てをお願いしている
藤屋和裁さんは
仕立てがとても丁寧で上手だし、早いし、お値段もとても良心的。
自分のものであれば、寸法が分かっているので
通常は電話でお願いして、宅急便で送ることが多いのですが
最近着物を着始めた知り合いの方が、今後仕立てをお願いするにあたり
改めて寸法を測ってもらおうと、昨年末、一緒にお邪魔しました。
ごく普通のマンションの一室(何部屋かあるようでしたが)に通され
玄関を入ってすぐの小部屋で、しばらく待っていたのですが
襖一枚へだてて、どうやら何人かの人がいる気配。
「あぁこの隣で縫ってるんだな」と、漠然と思っていたのですが
その気配というのが、なんとなく………
元気、な感じ。
“和裁”と“元気”って……あまり、すぐには結びつかないけれど(笑)。
もちろん、作業中(しかも和裁という根を詰める仕事)ですから
賑やかに騒いでいるわけはなく、静かにただ作業をしている、そんな
雰囲気ではあるのですが、なんとなく活発というか、溌剌とした、というか……
そんな、明るい空気が満ちていて。
不思議に思って(ちょっとお行儀が悪いですが)担当の方が出入りする隙に
少しばかり首を伸ばし、隣室を覗いてみたら……なんと。
思っていた以上に大人数の、しかも20代と思しきうら若き女性たち(笑)が
整然と並べられた裁ち台に向かっていました。
静かなのに、どことなく漂う明るい雰囲気はこれかぁ…と
妙に納得し、そしてうれしくなりました。
若い女性たちが、明るく楽しく仕事ができている、ということ。
しかも、高い技術を持っていて、それにより生計を立てることができる、ということ。
和裁、という職種が、現代において、そういう職種であるんだ、と
実感できたことがとてもうれしかった。
藤屋和裁さんの技術の高さから、縫っていらっしゃるのは
年配の方々が多いのかと勝手に思っていたのです。
もちろん、難しいものはキャリアの長い方が担当しているとか
そういった部分はあるでしょうけれど、こんなに若い女性が多くても
技術の高さを維持できているというのは、会社として、きちんと
技を伝承していくシステムが整っているということでもありますよね。
和裁だけでなく、伝統工芸(産業)における後継者不足は深刻。
「もうこれは出来る人がいないんだよ」
「廃業することになったから、これで最後」
……聞くたびに、切ない気持ちになります。
どんな素晴らしい技術であっても、それで食べていくことができなかったら
続いてはいかない。
作家という名のもとに、美術品として高い評価を得、高価な値で取引されるものはともかく
作品としては残らない、でも、地道で確かな職人の技は
それで生計を立てることができなければ絶えてしまう。
技術に対してまっとうな代価が支払われ、それで生計を立てることが
できるようなシステムがあってほしい、と切に思います。
そしてその伝承のシステムも、かつては、それぞれの職人が
手元に弟子を丸抱えして、独り立ちできるまで仕込んでいたのでしょうが
現代では、それでは個人の負担が大きすぎる。
例えば、中学or高校卒業後、職人のもとで修行ができるような
国なり、都道府県なりの公的なシステムがあったらいいのに。。。
受け入れる側に、修行期間中の補助があるとか。
学歴偏重の社会の中、個人の特性を活かす道を
早くに見つけられるかもしれない。
技術を残す、ということと、一石二鳥じゃない?なんて。
(そう簡単な話ではないでしょうけれど)
ただ、そうなると、一般常識なども教えないといけなくなるので
受け入れる側も大変ですが、本来、徒弟制度ってそういうものだったと思う。
社会の中で、必要とされる技術を持つということの強さ。
技術だけではなくて、その“生きる姿勢”のようなものも
厳しく、しっかりと叩き込んでくれる場だったのではないかと思うのです。
……なんだかとりとめのない文章になってきましたが(笑)。
自分自身が身を置く世界でもあるので、そんなことを時々考えます。
だからと言って、私が具体的に何かできるかというと、そんなわけもなく。
ただ、今は無理でも、いつか何かできるかもしれないから考えてはおきたい。
過去の遺物とされてしまうような世界ではなく、少なくとも
この現代で生き生きと呼吸している世界であることが実感できたから。
少しでも、現在から未来へつながっていくように。